Andrea Leonardi
   Department   Kyoto University of Foreign Studies  Department of Italian Studies, Faculty of Foreign Studies
   Position   Professor
Language English
Publication Date 2019/01
Type Academic Paper
Peer Review Peer reviewed
Title Locus and Clearing: A Comparison Between Nishida Kitarô and Martin Heidegger
Contribution Type Single author
Journal 京都外国語大学『COSMICA』
Journal TypeJapan
Volume, Issue, Page (XLVIII),pp.45-64
Responsible for すべて
Author and coauthor Andrea LEONARDI
Details 西田幾多郎とM.ハイデッガーは20世紀を代表する偉大なる哲学者であるため、彼らの哲学の比較研究が行われるようになった。従来、その比較はほとんど京都学派関係者によって粗略に行われて、その結果としてハイデッガー哲学は西洋の対象論理を未だ脱出していない半端な思想として西田の立場から批判された。しかし、近年主に英米の学者によってその類似性が強調され、特に「場所」と「開け」という概念の類似性が注目されるようになった。さらに、西田哲学はハイデッガーの立場から一種の「形而上学」として批判され得ることも指摘された。ところが、両者の間には、あまり強調されてこなかった一つの重要な差異が存在すると私は思う。つまり、ハイデッガーの「覆蔵性」という概念が西田哲学にはないという差異なのである。拙論では、両者の類似点を明らかにした後、両者の差異を考える。