ウシジマ タカシ
Takashi USHIJIMA
牛島 万 所属 京都外国語大学 外国語学部 スペイン語学科 職種 教授 |
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言語種別 | 日本語 |
発行・発表の年月 | 2011/12 |
形態種別 | 論文 |
査読 | 査読あり |
招待論文 | 招待あり |
標題 | リオ・グランデ境界の軍事化と米墨戦争―テキサス戦争から米墨戦争勃発までの戦間期を中心に |
執筆形態 | 単著 |
掲載誌名 | 天理大学アメリカス学会『アメリカス世界のなかのメキシコ』天理大学出版部 |
掲載区分 | 国内 |
巻・号・頁 | 49-69頁 |
概要 | テキサス独立以降、1830年代後半のメキシコ北部地域では、自治権獲得のための連邦制復活を要求する動きが高まっていた。従って、メキシコ中央政府は、対外的にテキサス問題や対仏戦争(1837年)をかかえるなか、国内においては連邦派及びこれに加担する地方軍人による蜂起を鎮圧するため、メキシコ中央集権派の保守的軍人の力の論理、つまり「暴力」と「抑圧」による地域社会の安定と調和を優先しなければならなかった。事実、正規軍はメキシコ北部の反政府勢力より優勢であった。これに並行し、中央政府はそれまで疎かになっていたメキシコ軍によるリオ・グランデ境界の軍事化を推進していったのである。そしてこの軍事化はリオ・グランデ境界画定を推進するものでもあり、米国膨張主義の防波堤としての対抗要因と化そうとしていた。しかしながら、メキシコ軍より優勢な米国政府による軍事化の証であるテイラー軍がマタモロス対岸まで進駐し両軍が対峙した時点で、それまで事実上形骸化していた敵国による係争地域への侵犯という考え方が再燃し、メキシコ軍は自衛と正義のため、開戦の火蓋を切ることを余儀なくされたのである。 |