フセ マサオ
Masao FUSE
布施 将夫 所属 京都外国語短期大学 キャリア英語科 職種 教授 |
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発表年月日 | 2012/02 |
発表テーマ | 補給戦と合衆国 |
会議名 | 京都大学人文研究所共同研究班『第一次世界大戦の総合的研究』 |
学会区分 | 研究会・シンポジウム等 |
発表形式 | 口頭(一般) |
単独共同区分 | 単独 |
概要 | 第一次世界大戦に合衆国が参戦したのは、ドイツに対し宣戦した1917年4月のことであった。その交戦国ドイツは、大戦前から壮大な戦争計画シュリーフェン・プランを作成し、この計画を改めながら大戦を戦った。しかし、マーティン・ファン・クレフェルトの『補給戦』は、シュリーフェンが「補給軽視」であったため、ドイツは「敗けるべくして敗けた」と結論付けている。では当時、勝者となった合衆国の補給戦は、いかなるものであったのか。クレフェルトは、後のノルマンディー上陸作戦における連合国の補給戦については比較的高く評価しているものの、第一次大戦期の合衆国の補給戦については沈黙している。また合衆国は、「すばらしき小戦争」と形容された1898年の米西戦争の間でさえ、補給の失敗を経験していた。そこで本報告では、米西戦争と第二次世界大戦という第一次大戦を挟んだ二つの戦争で、補給に関して相反する評価をされた合衆国が、第一次大戦期にはどのような補給戦の計画・実践をおこなったのかを考察した。本報告では、合衆国による補給戦の海上計画と陸上形態で、内容を前後半で分けた。第一次大戦以前の合衆国の仮想敵国は、20世紀初頭の日露戦争や日米移民問題が契機となって、ドイツよりもむしろ日本であった。こうした日本に対し、合衆国海軍では「オレンジ・プラン」が作成されていく。そこで報告前半では、この計画に関する決定的研究とされた参考文献の書物を中心に、1906年から1922年までのオレンジ計画を概観する。そして報告後半では、大戦下の合衆国内における陸上補給の実態を取り上げた。対独計画ブラックを含む大西洋方面の戦争計画はなきに等しいとされたが、その一方、国内の陸上輸送は円滑に進んだのか。1917年末に鉄道庁が新設されたのは、陸上輸送問題を救済するためではなかったか。こうした問題意識をもって、大戦下の行政の対応を再考した。 |