タケシタ ルッジェリ アンナ   Anna Ruggeri Takeshita
  竹下 ルッジェリ アンナ
   所属   京都外国語大学  外国語学部 イタリア語学科
   職種   教授
発表年月日 2015/07/19
発表テーマ 白隠禅師の女性弟子―お察と恵昌尼の場合ー
会議名 国際白隠フォーラム2015
主催者 静岡県沼津市総合コンベンション
学会区分 全国学会
発表形式 口頭(招待・特別)
単独共同区分 単独
開催地名 プラサヴェルデ(沼津市、静岡県)
発表者・共同発表者 竹下ルッジェリ・アンナ
概要 白隠の門下の弟子たちは極めて多かった。居士大姉を加えると、その数はさらに増える。しかし、彼らの情報を記録する資料はそれほど多くない。そして女性弟子の場合には、さらに状況が悪くなる。白隠の遷化に近いものから記入すると、まず白隠の大高弟東嶺円慈(1721-1792)が著した『白隠和尚年譜』(1820)および白隠下四世の妙喜宗績(1774-1848)による『荊棘叢談』 (1842)という著作があげられる。後者には白隠門下の尼僧と大姉を合わせて五人女性が登場しる。彼女らは、お察(阿察婆)、そして原駅の婆、恵昌尼、政女と茶店婆の五人である。『年譜』では、さらに大橋女(後に恵林尼)について書かれているが、原駅の婆と茶店婆の話は記されていない。『年譜』が口伝されたことは考えられないことから、この二人の消息がお察婆と紛淆していると、有名な白隠の研究者である故町田瑞峰氏は推測している。『近世禅林僧宝伝』(1890)や『近古禅林叢談』(1919)のような禅者の情報を集めている他の書物においては、白隠門下の法嗣の他に居士大姉伝も載せているが、『荊棘叢談』の孫引きのように見えるので、女性五人伝に関しては新たな情報があない。しかし、白隠は自分の様々な作品の中で、弟子の話をすることが多く、彼ら宛ての書簡も多数残している。白隠の墨蹟も含めて、このような門下の女性弟子に関わる資料を細かく分析してみた。現在の所に至る、庄司幽斎の娘と見られる白隠の代表の女性弟子であるお察(1714-1789)と夫の江尻駅某の死後に出家した恵昌尼(?-1764)について発表した。